みちのく岩手の戦史館
ビアク サルミで拾われた 水筒 飯ごう 鉄カブト
みんないっしょに運ばれて この衣川にうずくまる
いつか身内の誰かれが 俺の水筒見つけ出し
あいつのモンだと手にとって 家に大事に持ち帰る
ああ その日を俺たちは 待っているんだ戦史館
遺留品は、しばしば白骨化した戦没者の遺骸の側らで発見されています。遺留品が日本軍の官給品であれば、その遺骸が日本兵である可能性が高くなります。
水筒や飯ごう、万年筆などに名前が刻まれていて、その筆跡から個人が特定されれば、持ち主の遺族にお返しすることができます。
これまでに、何人かの遺族のご希望に沿ってお渡しできた、形見の品をいくつか紹介します。
2005年、ビアク島西洞窟付近で発見された水筒には、特徴のある文字で「野々口」と刻まれていました。
2007年11月。8月に大阪で開催された写真展を見て以降、父の戦没地ビアク島について調べていた男性から電話がありました。資料を送るために住所とお名前を尋ねると、その方は野々口義之さん。
水筒の写真を送り、水筒の特徴のある筆跡と、本人の残した筆跡を鑑定してもらうことになりました。野々口さんのお父さんが愛用していたコンサイス英和辞典の名前の筆跡と水筒の文字の特徴が同じで、野々口さんのお父さんが所属していた部隊で野々口姓は義雄さんただ一人だったことも判明しました。
お父さんの遺品の水筒は、復員できなかった父に代わり、残された3人の子供たちのもとに帰りました。
2007年6月。ゲニムの住民から、「イメノ地区のカカオ畑の大きな木の根元に、日本兵の遺体を埋めた」という情報を得ました。悪路の山道で、車では入れません。バイクのタクシーをお願いして、山道を登りました。地面を1mほど掘り続けると、認識票に飯ごうが2つ、眼鏡のツル、「藤井」の文字が彫られたる水筒、万年筆、インク瓶、柄が水牛の角でできたプロ用のカミソリが出土しました。認識票に掘られた文字二九四八は、暁2948部隊、第3揚陸隊のことです。
藤井さん捜しが始まりました。暁2948部隊に所属した藤井さんは3名。そのうち、ゲニムで戦没した藤井さんは理容師で、一番立派なカミソリを持参したことや、眼鏡をかけていたことが分かりました。万年筆で書かれた4通の軍事郵便の旧字体と、水筒飯ごうの旧字体も、同じでした。飯ごうが2つあるのは、隊長の当番兵で、当番兵は床屋さんだったという証言も得られて、盛岡市の藤井藤一郎さんと判明し、ご遺族に遺留品をお返しできました。
2009年5月、山形県酒田市で開催された「西部ニューギニア玉砕写真展」がきっかけで、大瀧松雄さんの遺留品を身内にお返しすることができました。
「大滝」と刻まれた飯ごうのフタは陸軍兵の官給品であり、発見されたビアク島西洞窟は陸軍222連隊の戦闘場所であったことから、収集された遺留品も同連隊兵士の持ち物である可能性が非常に高いと考えられます。連隊の中で大滝さんはただ一人だったので、山形県出川町出身の大滝さんと考えられる ── そこまでは調査できましたが、そこから先が不明でした。
酒田市で開催された写真展に遺品を展示し、関係者捜しをお願いしました。写真展実行委員の皆さんのご尽力で、戦没者の弟さんに手渡せました。
撮影 インドネシア人フォトグラファー EKYさん
展示室 内部の様子
サラワケット山頂にて
大調和会所属 山崎歳夫 画伯 筆
山崎さんは、東部ニューギニア (現在のパプアニューギニア) のウェワクから復員。
蛍の鎮魂
蝶の鎮魂
重き回想
佐々木仁朗 画伯 筆「重き回想」
作者は、ビアク島から奇跡的に生還した佐々木仁朗さん。
この絵の上半分は、南国の極楽鳥が舞うパラダイス。中央に描かれた男の眼は、“あの戦争は何だったのか”と疑問と怒りに満ちていて、その周りの暗黒の戦場には みづく屍が累々と重なる。
日本兵の認識票
米兵のドッグタグ
白 海軍の軍服
黒 陸軍の礼服
戦場となった地には、倒れた兵士たちの遺骸、遺留品だけでなく、危険物も散在しています。戦場掃除をすることで、二次被害をなくすように求められています。子供たちがはだしで駆け回れる、安全な環境に戻す必要があります。
戦場に散らばっている銃弾や手榴弾など、生の火薬が詰まった武器弾薬は、ダイナマイト漁に使われることも度々で、危険です。
写真 : 左から①弾薬 ②毒ガスマスク ③ガラス破片
写真 : 現地で発見された手榴弾
写真 : 現地で発見された銃弾
写真 : 左 薬類のガラス瓶か ・ 右 キリンビール瓶
写真 : 左 ロート目薬瓶 ・ 右 「わかもと」の瓶
先頭は、小野寺中尉の水筒。一般兵士の持ち物は官給品であるが、将校用は私物で、通常、任官後に自費で買いそろえる。これも、フタに小野寺中尉と刻まれている。ビアク戦没者で小野寺姓の将校は小野寺一男大尉1名であることから、持ち主が特定されるが、現在も身よりの方の手がかりはない。
他に分かっているものは、「青山 阿部鉄二 エノキ・キノエ 岡本 大槻 勝部 木村 久保金治 佐々木 桜内 進藤 鈴木國男 田口 田渕 トミタ正 中村 中島 長野 室井 安井 山藤 吉羽 和久 和田 渡辺貞雄 (三分隊) 」
軍票の下段中央に「府政國帝本日大」と漢字が印刷され、この軍票で10ドルに交換できると約束されているが、交換された実績が一度もないまま、戦後紙屑となった。
THE JAPANESE GOVERNMENT PROMISES TO PAY THE BEARER ON DEMAND TEN DOLLARS.